幼い時の遊びから音楽に興味を持ち、12歳からはピアノ教室にも通った守也。夢中で曲作りをし、時にはピアノと格闘してきた彼は、中学3年の時、人生最大ともいえる決断をする。「中学卒業を控えて、“おまえ、将来どうするんだ”って父に言われたんです」。勉強は苦手。音楽をもっと続けたい…。そんな彼に、留学という選択肢が浮上する。
その彼の背中を押してくれたのが、父親だった。「どうせやるなら、本格的にやってみろ」…この言葉で、留学を決めた。ルクセンブルク音楽院。たまたま姉が現地へ語学留学に行っていたということもあったが、15歳の少年が「ピアノの修行」に行くには、あまりにも遠い距離だ。まさに“冒険”と呼ぶにふさわしい決断だったのかもしれない。 |
 |
 |
 |
|
|
| 広い教室が並び、各部屋にグランドピアノが2台、先生が1人…最高の音楽環境で生活が始まった。ところが、「フランス語は分からないし、ホームシックになるしで、もう、泣きましたね(笑)」。そんな彼を支え続けたのは「絶対にやめるな。始めたら10年はやれ」という父の言葉だった。「行ったからには中途半端にやめられない。そう思いました」。 |
 |
 |
 |
|
|
一方、中学生になった圭土は、高度なソナタも弾けるくらいのスキルを身につけていた。その頃は、もうクラシックの勉強も嫌ではなかったという。「もっとピアノがうまくなりたい、って思いました」。そして中学を卒業した彼は、躊躇なく兄の後を追い、ルクセンブルクへと向かうことになる。「兄は“的”というか“山”というか、そんな存在だったんです」。
助け合いながら、時には張り合いながら過ごした2人の留学生活。気がつけば、守也の滞在は足掛け7年にもなっていた。そして卒業する頃には指導教官からの評価も高く、パリやベルリンでさらに本格的にピアノを学ぶことをすすめられたのだという。しかし彼らは、クラシックのスキルを極める道半ばで、帰国の道を選んだ。 |
 |
 |
 |
|
|
| 「“僕はやっぱり、クラシック以外の音楽もやりたいんです。ごめんなさい”、って帰ってきたんです」(守也)。こうして、兄弟は横須賀に舞い戻る。守也が22歳、そして圭土は17歳の時だった。しかし、本格的なピアノの腕を磨いて帰国した2人を待っていたのは、長い試行錯誤の時間だった。彼らの音楽が、ここからしばらく迷走を始めるのだ。 |
|
 |
 |
|
|
| ◇帰国した彼らの音楽活動とは?そしてついに『レ・フレール』が誕生する!→次のページへ! |
|
 |
 |
|
|